忙しさは善意をなくす
「心を亡くす」と書いて「忙」。
人間の本質は善意と慈愛の「心」ですが、忙しいと本当に心をなくしてしまうのでしょうか?
プリンストン大学で興味深い心理学の実験が行われました。
「善きサマリア人の実験」と呼ばれるこの実験の内容は以下のようなものです。
神学校の学生が講義に向かう途中、道端に具合が悪そうに倒れている人がいる。彼はその人を助けるだろうか?
神学校というのは、キリスト教の聖職者を養成するための学校です。つまり、この学生たちは人々に隣人愛を教え導く立場になっていくということです。
実験では、学生達を「神学を選んだ動機」や「講義のテーマ」などでいくつかのグループに分け、それらのグループ間で助ける学生の割合に違いがあるかを確かめました。


そこに祭司が通りかかる。だが、その人を見ると道の向こう側を通り過ぎて行った。
次にレビ人が通りかかる。彼も同じように道の向こう側を通り過ぎて行った。
そして次に異民族のサマリア人が通りかかる。彼は、この傷ついた旅人に駆け寄り、傷の手当てをし、ろばに乗せて宿屋まで運び介抱した。
次の日、サマリア人は出発するとき、銀貨二枚を宿屋の主人に渡し、言った。
『どうかこのお金でこの人の世話をしてください。これで足りなければ、わたしが戻って来たときに払いますから』
出典元:memento mori
プリンストン大学の実験では、人がどのような状況にあるときに「善きサマリア人」のような善意を発揮するかを確かめようとしたのです。
「学生が神学を選んだ動機」「講義のテーマ」などでグループ分けをしましたが、これらの違いにより、助ける学生と助けない学生との割合に差はみられませんでした。
差が現れたのは「急いでいる学生」と「急いでいない学生」です。
急いでいる学生に比べて、急いでいない学生の方が助ける確率が有意に高かったのです。
どうやら人間は忙しいと余裕がなくなり、自分のことしか見えなくなってしまうようです。
これは「時間にゆとりがないと善意すらなくしてしまう」ことを意味しているのかもしれません。
あなたの回りの「時間ドロボー」

誰しも等しく時間が与えられているはずなのに、なぜ自分にはこんなに時間がないのか。
それは簡単です。
あなたの周りの「時間ドロボー」に、あなたの貴重な時間が盗まれているからです。
これは大変なことです。
時間とは生きることそのものなのですから、時間を盗まれるのは命を盗まれるとの等しいことなのです。
決して放置していい問題ではありません。
「時間ドロボー」は何者か?
ビジネスの現場では、無駄な時間を「生産性のない時間」と定義することが多いようです。
特に最近は働き方改革で「生産性」の重要性がバカみたいに繰り返されていますから、みな非生産的な活動を削ろうと必死です。
無駄な時間とは、非生産的な時間のことなのでしょうか?
家族と談笑したり、ゆっくりとお風呂に浸かりくつろいだりする時間は金銭的価値を生まない非生産的な時間です。それらは無駄な時間でしょうか?
実は無駄な時間とは単純で、「あなたが無駄だと思う時間」のことなのです。


無駄な時間というのは他人が決められるものではないんです
掃除は時間ドロボー?
「掃除」をする時間を例にします。


きれいにしたってどうせまた汚れるんだし、なんかむなしいっていうか

部屋を片付けていると心まで整理されていく気がしますしね♪
何が言いたいかというと、掃除という行為は同じであってもその捉え方は人それぞれだということです。
掃除を無駄だと捉えることもできますし、有意義だと捉えることもできます。どちらも正しいのです。
掃除を無駄だと考える人にとって、掃除は「時間ドロボー」となります。
大切なのは、あなた自身が生活を振り返り、何が無駄で何が有意義なのかを見極めることです。
それはあなたにしかできないことなのです。
容疑者リストを作ろう
当サイトの「時間の授業」では、この時間ドロボーの容疑者をあなたと一緒に考えていきます。
あなたを脅かす「時間ドロボー」の容疑者リストを作ってみましょう。

